とある哲学者の研究記録

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『人間の土地』(サン=テグジュペリ作)から読み取れること。

 サン=テグジュペリと言えば、『星の王子さま』で有名ですが、それ以外にも考えさせられる本を書いています。その1つがこちらの本『人間の土地』です。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

 

  この本を読んで何より驚いたのは、サン=テグジュペリの言っていることが現代にも通じる普遍的なテーマであることです。

 サン=テグジュペリは、飛行機乗りとしての経験から磨き抜かれた感性・理性と極限状態を知ることで気づいた人間の本然(普遍性)について本書にあるいくつもの短編を通して読者に伝えてくれます。

 以下、「」内は本書からの引用、そしてそれに続き私の感想・意見を書いていきます。

 

P62 「競走の方が、競争の目的より重視されている。これはいつの場合にも同じことだ」

「結局は人間の為にするのだという事実を忘れがちだった」

 競走の方が、競争の目的より重視される。または、目的の目的(普遍的目的)が人の心から抜け落ちるということはよく見受けられます。例えば、資本主義などはその典型例でしょう。資本主義では、金儲け(利潤追求)が最大の目的です。そしてその為に競争をします。ですが、金儲けもまた人間が生きる為に行う手段の1つなのです。すなわち、金儲けの目的は自分や家族など人を生かす為に個々人が行うことなのです。これは資本主義に限ったことではありません。すべての表層にある目的の根本には、人を生かす為という普遍的目的があります。

 世界の様々な問題(歪み)の背景には、こういった普遍的目的を見失った。または、一部の人たちの独善的な目的の為に発生しているのではないかと思います。人類は普遍的目的が人を生かすことにあるということを改めて意識するべきと感じました。

 

P65 「飛行機は、機会には相違ないが、しかしまたなんと微妙な分析の道具だろう!この道具がぼくらに大地の真の相貌を発見させてくれる。道路というものが、そういえば、幾世紀のあいだ、ぼくらを欺いていたのだった」

 ここでサン=テグジュペリは飛行機を分析の道具と表現して大地の真の相貌を発見させてくれるといっています。まさに俯瞰的に世界を見られる分析の道具、それが飛行機であると解釈することもできます。

 私たちは、近すぎると気付けないことが多々あります。そんな時は、俯瞰的に物事を見ることが大切です。地球を俯瞰的に見ることができるようにした初めての道具、それが飛行機だと思うと飛行機に対するロマンを感じざるを得ないです。

 

P189 「ぼくは万一帰れるとしたら、またやりなおすつもりだ。ぼくには生きることが必要だ。都会にはすでに人間の生活はなくなっている」

「飛行機は目的ではなく、手段にしかすぎない」

「人は人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」

ここでサン=テグジュペリは、ぼくには生きることが必要だ。都会にはすでに人間の生活はなくなっている。と言っている。また、人と人間を区別している。

サン=テグジュペリの人と人間の区別は、何を意味するのだろうか?

誰か分かる人がいたら教えてください(/・ω・)/

 

P216 「だれも皆、ぼくらは同じ熱意を云々しているのだ。ぼくら個々の理性の果実なる方法こそは異なるが、目的は異ならない、目的は同一だ」

 ここで言う同一の目的(普遍的目的)は、「生きること」だと思われます。

 

P219 「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させ合ってはいけない。そうなのだ、きみらは正しいのだ。きみらはいずれも正しいのだ。理屈はどんなことでも証明する」

 理屈はどんなことでも証明する。たとえそれがフィクションでも論理を確り構築すれば、理屈として成り立つ。そして、各々に各々の正義がある。正義を対立させると、大きな争いに発展しやすい。ゆえに正義を対立させてはいけない。と考えられます。

 

P219~221 「もとより人間を、左翼の人と右翼の人、ファシズムとデモクラートに、区別することはできよう。しかも、このような区別は非難しがたいものなのだ。ただ本然というものは、諸君も知られるとおり、世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。本然というのは、全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ。ニュートンはけっして、謎の解みたいに、長く隠れていた法則を<発見>したのではなかった、ニュートンは創造的な仕事をなしとげたのであった。彼は、牧場に落ちる林檎を表現しうると同時に、太陽の上ることも表現しうる人間の言葉を作り出したのだ。本然というものは、けっして自己を証拠立てるものではなくて、物事を単純化するためのものなのだ」

 「イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。すなわち、ぼくらは解放されたいのだ」

 「多少程度こそ違え、みんなが生まれ出たいという欲求を同じように感じてはいるのだが、ただ誤った解決法が行われているだけだ」

 本然(本質)は、世界を混沌化するものではなく、世界を単純化するものであり、それは、人間が作り出すものである。

 イデオロギーを論じあって何になるだろう?それぞれにそれぞれの正義がある。それでいいじゃないか。という考え方には大いに賛同できます(・ω・)

 人間の本然(本質)はなんだろう? 人間の本質は生きることであり、また同時に活きる(輝く)ことなのではないかと私は思います。

 

P223 「ぼくらは戦争を必要としなかった。戦争はぼくらを欺く」

 「なぜ憎み合うのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがお互いに憎みあうにいたっては言語道断だ」

 「ぼくらを解放するには、お互いにお互いを結び付ける1つの目的を認識するように、ぼくらに仕向ければ足りる」

 ぼくらには戦争は必要ない。憎しみもまた必要ない。ぼくらに本当に必要なものは、お互いを結び付ける1つの目的だ。とサン=テグジュペリは言っている。

 人のお互いを結び付ける1つの目的は何か?

 それは生きることだと思う。また人を生かすことだと思う。

 

P224 「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

 サン=テグジュペリが言う人間とは、自分の生命に意味を持った存在、自分の役割を認識した存在を示すのではないかとここで判断した。

 

P232 「ぼくを悩ますのは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ」

ここで言うモーツァルトは人の可能性を示唆しているものと理解した。社会など様々なモノが人々のモーツァルト(可能性)を虐殺している。そして、それがサン=テグジュペリには悩ましかった。また、人の可能性を活かしきれないこの時代にやるせなさを感じていたのかも知れない。

 

P232 「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」

 この言葉の意味は、まだ私には分からなかった。色々な経験・知識を積んだ後なら分かるかも知れない。この言葉の意味が分かるその時を楽しみに待っておきたいです。

※我が師匠いわく聖書の一節が関係あるとかどうとか‥‥‥

 

サン=テグジュペリ作品】 

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