とある哲学者の研究記録

哲学者が人生を楽しむ方法を探求するブログ☆気まぐれに更新しています。

ロシアとヨーロッパのこれから~国際政治・関係性の分析~

 大学時代のレポートを発掘したので、ブログ記事として掲載します(/・ω・)/

 

― 以下レポート ―

 昨今は、イギリスのEU離脱イスラム国問題、ヨーロッパの難民問題、ロシアの横暴などから観られるように、東アジアだけでなくヨーロッパも情勢は不安定であると言える。

 そんなヨーロッパの中でも「EU」(欧州連合)とヨーロッパでありアジアでもある「ロシア」の関係性について分析しながら、「EU」(欧州連合)と「ロシア」のこれから(将来)について、「どうなるか」という現実的予測と「どうするべきか」という理想論的意見を述べたいと思う。

 また、「EU」という政治・経済の国際的共同体の構想・理念は、「アジア地域」のこれから(将来)の発展に必要なものとなってくるだろう。

 そして、「EU」が「ロシア」という荒熊と対峙するように、「日本・アジア」は「中国」という荒熊と対峙している。

 「EU」と「ロシア」の国際関係・国際政治の現実と理想を分析・理解することは、アナロジー(類推)的に「日本・アジア」と「中国」の国際関係・国際政治の現実と理想を理解することに役に立ち、これからの「アジア地域」の調和と平和構築を考え・実現することを助けるだろう。

 このレポートでは、「ヨーロッパ(EUとロシアをメイン)のこれから(将来)の現実的予測と理想論的意見」をテーマとする。そしてその「おまけ」(アナロジー・類推)として、日本・アジアのこれから(将来)に対して、意見を述べたいと思う。

 

【ヨーロッパの調和とEU欧州連合)】

 ローマ帝国以来の「規範の帝国」と言われる「EU」(欧州連合)の構造・歴史的経験などから学べることは多い。

 「日本は先進国としてEUアメリカに並びつつ、アジアの新興大国中国やインドやASEANと共存して、先進国と新興国の橋渡しをすることができる。また、欧米による近代から、再び、アジア人による文明と繁栄の時代への移行を、緩やかに、軍事的な大衝突を起こさずに実現していく知恵を、二度の世界大戦による疲弊と悲劇から統合を実現した、EC(欧州共同体)/EU欧州連合)の歴史に学び、アジアという地域の一員として実行していくことができるはずだ…(中略)。アジア全体の新時代を、いかに平和的かつ安定的にWin‐Winの政策を持って実現していくか。それを考え実行すること…(中略)。パワーシフトの時代にあって、新興国への経済・権力移行をより平和的に行うための「橋渡し」、両者をつなぐ「ブリッジ」の役割をこそ、日本は果たすべきであろう。…(中略)。EUの歴史的使命、特に戦争によらず世界平和と世界規範に大きな役割を果たし続けようとする使命に学ぶことは極めて大きい」と羽場は言う(註2 p5~p7)。

 「EU」は軍事力ではなく、規範と協力・安定関係によって「ヨーロッパ世界の調和」をつくり出そうとしている。

その試みは、アジア地域のこれからを考えるにあたって必要な知恵であろう。

 また、「EU」には欠点も観られる。そういった構造的な問題も含めて「EU」というものを分析して、将来的に「アジア地域の調和」をもたらす政策・機関の設立などに役立つ知恵をここでは見出していこうと思う。

 

 「EU」(欧州連合)という共同体の最大の理念・目的は、「ヨーロッパの調和・協力」であり、それは「ヨーロッパの平和」に繋がるといえる。

 実際、世界大戦後のヨーロッパでは、「戦争」と呼べるものは起こっておらず、比較的に平和な状態を維持できている。その要因として「EU」(欧州連合)という共同体の存在は大きな割合を占めているだろう。

 「EU」(欧州連合)の特性・魅力を平島は次のように語る(註1 p4~p8)。

― 以下引用文 ―

 統合のプロセスと、そのようなプロセスをたどって築き上げられた現在のEUも、われわれの知的関心をひきつけてやまない。その魅力はどこにあるのだろうか。

 第一は、妥協を導き出すための創意あふれる工夫の数々がある。

 欧州連合は、第二次世界大戦による後輩と迫りくる東西冷戦の中に置かれたヨーロッパ諸国が、一国だけでは解決することのできない、さまざまな問題を相互に協力しながら解決しようとする試みに始まった。すなわち、各国は、あらかじめ定められた、何か特定の組織や体制を構築するために協力を続けたのではなく、その時々の具体的な問題を、与えられた条件の下で集合的に解決しようとしてきたのである。

 粘り強い交渉から導き出された妥協の定式は、まさに政治が可能性を追求する技術であることを想起させる。

(中略)

 第二は、目標を達成するリアリズムとその粘り強さである。…… 機構、決定ルールをさまざまに使い分け、場合によっては経過措置を用いながら、そのときどきに可能な合意を暫定的に選び取り、そのような合意の定着と状況の変化をまって、さらなる合意の達成を追求するリアリズムがある。H・ウォーレスが「建設的曖昧さ」と言うように合意の達成が難しければ、その場はあいまいな妥協でやり過ごすこともあるだろう。実際、当事者の多くが交渉の挫折について語りながらも、暫定的に結ばれた取り決めが、状況の変化を経た後に当初の意図を実現する、より完全な合意の成立へと至る場合が数多くある。

(中略)

 最後に、その複雑な構造をあげたい。以上の二点からも導かれるように、共同体は持続的な変化を積み重ねて今日のEUに至ったのであり、複雑に分化した構造は単純に図式的理解を拒む。確かに六〇年代までは、共通化された政策の制度化は端緒にとどまっていたから、欧州統合に対する関心は、統合の前進や停滞のプロセスに集中していた。しかし、それぞれの国益を守ろうとして統合を政府間の交渉にだけ注目していては、委員会の日常的な政策形成によって形成されるガヴァナンスの構造を理解することは難しい。ガヴァナンスという言葉を用いるのは、政策過程の全体を上から統括する政府が存在せずとも、個々の領域では一定のパターンにしたがって問題の解決がなされるからである。同じようにEUを国際組織として考えるだけでは、欧州裁判所が、各国の法秩序に優越するヨーロッパの法的体系を構築してきた点を見逃すことになる。

 一方、EUを連邦制国家になぞらえ、委員会や理事会を一種の行政や立法府として固定的に理解しようとすることも、共同体がもつ可塑的な柔構造を見失わせることになる。統合が進展するにつれ、共通化された政策分野は多岐に及び、領域のそれぞれにはさまざまな形のガヴァナンスが成立した。とりわけ、冷戦の終結後には、多くの新たな課題に対応しようとして、共同体の構造は一層多様に分岐して、政策形成のネットワークは、共同体の機構をはるかに超え、民間の主体を幅広く包括するところにまで及んだ。

 冷戦の終結がもたらした課題に対して、今日の共同体が東方拡大や共通の軍隊の設置などによって答えようとするにもかかわらず、その対応はなお不十分なものにとどまっているのかもしれない。また、憲法条約の締結をもって、マーストリヒト条約を批准する過程で明らかとなったEUの「民主主義の赤字」に対する回答とすることができるのかどうかについても議論の余地があるだろう。政治的決定の場が、コペンハーゲンよりも遠く離れたブリュッセルに移ることを懸念したデンマーク国民が、国民投票によってマーストリヒト条約をいったん否決して以来、「民主主義の赤字」としてEUへの権限の集中や意思決定過程の不透明性に対する批判が高まった。そもそも複雑に構造分化したEUでは、市民が国家に対して認めてきたような正統性はどのような形で確保されうるのだろうか。

― 引用終わり ―

 平島は、「EU」(欧州連合)の特性・魅力の1つ目として、「問題解決の為の創意工夫・様々な試み」を挙げている。これは「EU」(欧州連合)という史上初の試みを成功させる為にヨーロッパ各国が「EU」として様々な政策を提案して試すという試行錯誤の結果の特性・魅力であると言えよう。

 次に「EU」の2つ目の特性・魅力として、「目標を達成する為のリアリズムと粘り強さ」を挙げている。これは「EU」の理念・最大目標である「ヨーロッパの調和・協調」を実現するために、現実的な妥協や粘り強さが政策面にて現れており「建設的曖昧さ」と評されるほどであることを特性・魅力として指摘している。

 そして「EU」の3つ目の特性・魅力として、「EUという共同体の複雑な構造」を挙げている。これは「EU」という機関が欧州各国を連携させる機能を果たしているが、それは「EU」が「国際組織」「連邦政府」でもなく、ヨーロッパの「共同体」ながら、様々な独自の機関をその内部に数多く持っているという「EU」の複雑な構造を特性・魅力として指摘している。

 このように「EU」には様々な特性・魅力があり、「EU」の構造を形作っている。

 また、「EU」(欧州連合)の「多様性・多元性」について、

 羽場は「拡大欧州は、アメリカのユニラテラリズム(単独行動主義)に対し、マルチラテラル(多国協調主義)な価値を打ち出して、二一世紀の世界を多元化することに貢献してきた」と述べている(註2 p12)。

 「EU」の「多国協調主義」はアジア地域の調和・協調にも必要であろう。

 

【ロシアのアイデンティティと政治・外交】

 「EU」(欧州連合)の構造を観たところで、次は「ロシア」について観ていこう。

 ある意味で「ロシア」は「EU」(欧州連合)という「ヨーロッパ」にハブられているとも言えるが、それはなぜなのか。また、「ロシア」の政治・外交について観ていこう。

 ロシアの政治・経済状況に関する考察を横手は次のように述べている(註5 p3~p5)。

― 以下引用文 ―

 過去30年ほどの間に、ロシアは社会主義体制から資本主義体制の国へと変貌した。

 社会主義体制が存在していた時代には、ほぼ全期間にわたってソ連共産党がこの国の政治権力を独占していた。経済面でも、国家による計画と管理を基本として、市場経済のメカニズムを可能な限り排除していた。しかし1985年以降、そうした状況に変化を求めるようになり、1991年にはついにソ連という国家そのものが消滅した。その後、ロシア連邦の成立後に採択された憲法体制では、大統領と国会議員(国家会議と呼ばれる下院の議員)を国民が直接選挙で選ぶようになった。また、経済面でも1992年以降、多くの国有企業の私有化が進み、私企業が市場経済のメカニズムの中で競争するようになった。この頃から、一見しただけでは、ロシアの政治と経済は欧米諸国のそれと区別がつかなくなった。

 しかし、ロシアの現状をさらに詳しく見ると、欧米諸国と異なる面があることに気づく。例えば大統領は、1993年にロシア憲法が制定されて以来、定期的に行われた選挙によって選出されてきたが、その度に、現職大統領が再選されるか、あるいは彼が推薦する候補者が選出されている。また、ワシントンに根拠を置く、非政府組織「フリーダム・ハウス」が、専門家の評価に基づいて毎年発表する各国の市民の自由の評価では、「自由」,「部分的に自由」,「非自由」という三区分で、ロシアは2005年から「非自由」の国と分類されるようになった。

 さらに、汚職が大きな社会問題になっている。例えばプーチン大統領が2012年に議会に送った教書においても「いかなるビジネス組織も、執行権力や立法権力、あるいは司法権力との近さによる特権を、その権力のレベルに拘らず利用すべきではない」と率直に問題の存在を認めている。

 以上に挙げた事例は、ロシア社会において繰り返し人々の関心を集めており、それだけ持続的で、深刻であることを示している。現在のロシアの政治に潜む特徴の一つがこうした現象にあると見ることができよう。それでは、どのようにこれらの否定的現象は説明されるのであろうか。実際、世界中のロシア政治の研究者がこうした現象に強い関心を寄せ、さまざまな仮説的解答を提示している。

 例えば、彼らの中には、社会主義体制から資本主義体制への転換という未曽有の改革に時間がかかるのは当然で、今後、時を重ねるにつれて、これらの現象はロシアにおいても目立たなくなるはずだと主張する者がいる。

 これとはまったく異なる解釈もある。例えば、歴史的に見てロシアでは欧米的な政治の運営がなされていた時代はほとんどなかったことを指摘して、そもそも欧米諸国と似たような政治体制を育むような政治文化が存在しないのではないかと主張する意見がある。こうした政治文化を重視する解釈では、ロシアでは個人主義リベラリズムの伝統が弱く、パターナリズム(家父長的態度)が社会の中で大きな影響を及ぼし続けたことが、欧米諸国と異なる政治的秩序を生み出してきたと指摘するのが一般的である。

 さらに別の解釈もある。それは、1980年代末から1990年代前半にかけて、国内政治、経済問題、エスニックな集団間の関係など、広範な分野で改革が一挙に進められた結果、国内に非常に鋭い意見対立が生じた事実を重視するものである。

 1993年に採択された憲法は、大統領に非常に強大な権限を与えた。これがその後の政治経済体制の性格を定める上で、決定的だったというのである。

 これ以外にも、現在のロシア政治が抱える問題点を重視して、その原因を説明する解釈がある。それらの中で比較的よく知られているのが、ロシアが世界有数のエネルギー資源の輸出国である点に注目する説である。

 それによると、一般に産油国では国家を運営する資金がエネルギー資源の輸出によって確保できるので、国民から多額の税金を徴収する必要性が弱まり、それに対応して、広く国民の意見を反映しやすい政治システムを生み出そうとする下からの圧力も弱くなると言う。

 ロシアの政治も、このようなエネルギー資源輸出国の経済的構造に基づくもので、基本的に中東の産油国のそれと同じものだというのである。

 はたして、これらの解釈のどれが、現在と未来のロシアの政治を最もよく説明するのであろうか。それとも、これらの解釈のどれもが一定の説明能力を持っており、政治の現状は複合的な要因を背景にしたものだと考えるべきだろうか。

― 引用終わり ―

 ロシアは「フリーダム・ハウス」による評価で「非自由」の国と判定されている。

 ロシアの政治が「非自由」な理由としてさまざまな要因が考えられる。

 例えば、ヨーロッパが「自由」を重視する政治文化・価値観を持っているのに対して、ロシアの政治文化・価値観は「家父長的」であり、「上からの支配」が強い、またそれが政治文化として根付いている(自然だと思い込んでいる)こと。

 他にも「エネルギー資源輸出国」に観られる「経済的構造」を要因とするものや社会主義体制のなごり、KGBという秘密警察の系譜による一党優位・一党独裁体制を要因に挙げる意見もある。

 このような様々な要因が作用して、ロシアの政治文化を形成しているといえる。

 「自由の尊重」という伝統の強い「ヨーロッパ」に比べて、「ロシア」は「非自由」な国であるといえる。

ここで考える必要があるのが「ヨーロッパ」と「ロシア」の違いを決定づけるものは何か。「ロシアのアイデンティティ」とはどんなものなのか。といったことである。

 「ロシアのアイデンティティ」それは「ヨーロッパとアジアのハーフのような立ち位置」であると言えるだろう。

 地理的にユーラシア大陸の大部分を占める「ロシア」はヨーロッパであり、アジアである。だが、長い歴史の中でも、「ロシア」は政治的に地政学的にヨーロッパであったり、アジアであったりした。この地理的条件・政治的伝統の中途半端さが「ヨーロッパ」との違いを大きく形づくっている。

 また、近年のロシアの政治構造を大きく決めた歴史的な大事件が「社会主義体制」である。

 帝政ロシアを打倒した民衆たちは、紆余曲折の後に、レーニン率いる共産党の支配に従属する形となってしまった。「社会主義者」たちは、「ヨーロッパ」で「共産党支配」を確立することができなかったが、「ロシア」で支配を確立することに成功した。

 これは世界的大事件であり、その後の「ロシア」と「ヨーロッパ」の政治・経済などの「社会体制」(システム)や生活文化の違いを決定づける事件であったと言えるだろう。

 すなわち、「EU」と「ロシア」の政治文化の違いを決定づけているものとして、「社会体制」(システム)の違いも多分にあると言える。

 

EU欧州連合)とロシアのこれから】

 ここでは「EU」(欧州連合)と「ロシア」の構造・特性を理解した上で、「EU」と「ロシア」のこれから(将来)が「どうなるか」という現実的予測と「どうするべきか」という理想論的意見を述べたいと思う。

 「欧米陣営(西側諸国)」と「ソ連陣営(東側諸国)」は政治的にも経済的にも「体制」(システム)が大きく違い、大きく対立した。

だが現在、「EU」と「ロシア」は政治的対立とは裏腹に、経済的には密接に関係している。

 それはロシアが政治的には、一党独裁・一党優位体制からは抜け出せてはいないが、経済的には資本主義体制・市場経済化を進めて、天然ガスというエネルギーをヨーロッパに輸出する資源大国になっていることによる。

 「EU」と「ロシア」がこれから(将来)、「どうなるか」という現実的予測は、

 「ロシア」が強硬姿勢を貫けば、アメリカ・EUと戦争状態にすらなる可能性もある。

 また、「EU」と「ロシア」の現状のゲーム構造は、「シーソーゲーム」である。

 「EU」が落ちぶれれば「ロシア」が発展・喜び、「ロシア」が落ちぶれれば「EU」が発展・喜ぶという構造である。このようなゲーム構造が続けば「EU」と「ロシア」の対立は深いモノになってしまうだろう。

 「EU」と「ロシア」がこれから(将来)、「どうするべきか」という理想論的意見は、

 「EU」側に対しては、「ヨーロッパの調和」を構築すること「ロシア」という不安定な大国を上手く導くことが「EU」に課せられた使命である。と言っておく。

 「ロシア」に対しては、「一党独裁・一党優位な政治体制」から抜き出して、自由を尊重する「民主主義国家」になることと、そのアイデンティティを活かして「ヨーロッパ」と「アジア」両地域との連携を深めることがロシア発展の近道であり、目指すべき道である。と言っておく。

 そして「EU」と「ロシア」両方に共通して言える目指すべき道は、二律背反な「シーソーゲーム」から抜け出して、お互いに「Win‐Win」となる道を模索・協力することだろう。

 

 「EU」という政治・経済の国際的共同体の構想・理念は、「アジア地域」のこれから(将来)の発展に必要なものとなってくるだろう。

 そして、「EU」が「ロシア」という荒熊と対峙するように、「日本・アジア」は「中国」という荒熊(荒パンダ)と対峙している。

 そしてその中国もロシアと同じく、共産党一党支配という「一党独裁体制」である。

 こういった「EU」・「ロシア」という「ヨーロッパ情勢」と「日本・アジア諸国」・「中国」という「アジア情勢」の共通点から、先ほど述べた「EU」と「ロシア」のこれから(将来)が「どうなるか」という現実的予測と「どうするべきか」という理想論的意見をアナロジー(類推)材料として思考展開すれば、次のようになる。

 「日本・アジア諸国」と「中国」がこれから(将来)、「どうなるか」という現実的予測は、

 「中国」が強硬姿勢を貫けば、アメリカ・日本・アジア諸国と戦争状態にすらなる可能性もある。

 「日本・アジア諸国」と「中国」がこれから(将来)、「どうするべきか」という理想論的意見は、「日本・アジア諸国」側に対しては、「アジアの調和」を構築すること「中国」という不安定な大国を上手く導くことが「アジア諸国」に課せられた使命である。と言っておく。

 「中国」に対しては、「一党独裁・一党優位な政治体制」から抜き出して、自由を尊重する「民主主義国家」になることが国家として目指すべき道である。と言っておく。

 そして「日本・アジア諸国」と「中国」両方に共通して言える目指すべき道は、お互いに「Win‐Win」となる道を模索・協力することだろう。

 

【参考文献リスト】

(註1)樋口恒晴『別冊 環 ⑤ ヨーロッパとは何か 「ロシアはヨーロッパか」』藤原書店,2002年

ヨーロッパとは何か (別冊環 (5))

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(註2)平島健司『EUは国家を超えられるか』岩波書店,2004年

EUは国家を超えられるか―政治統合のゆくえ (新世界事情)

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(註3)羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦 増補版』中央公論社,2014年

拡大ヨーロッパの挑戦―アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか (中公新書)

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(註4)岡部伸『イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭』PHP研究所,2016年

イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭 (PHP新書)

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(註5)渓内謙『現代社会主義を考える』岩波書店,1988年

現代社会主義を考える―ロシア革命から21世紀へ (岩波新書)

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(註6)横手慎二『ロシアの政治と外交』放送大学,2015年

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

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今を全力で生きることが、未来に繋がる!~現在志向のすゝめ~

 ついつい過去の出来事を思い出して落ち込んだり、未来を夢想したり、頭の中で様々な思考は流れてくるでしょう。ですが、私たちが生きているのは現在、今この時です。過ぎ去ってもう何もない過去や、どうなるか知ることのできない未来に心が囚われるのはハッキリ言って無駄です。過去や未来に囚われるのではなく、今を生きることが大切なことなのだと思います。それに今を全力で生きると楽しいし、未来に繋がる何かを掴める気がします。

 結局のところ、一番大切なのは、過去でも未来でもなく現在なのです。今だけよければそれでいいとは言いませんが、現在を満足のいくように過ごすことが大切だと思います。それに、未来や理想ばかり追い求めて現実と向き合わないのは、現実をダメにするどころか追い求める未来や理想すらダメにすると思うからです。

 未来や理想を求めるのなら、なおさら今(現在)を大切に考えて行動すべきと考えられます。

 私の夢(理想・目標)は、本業を確りと努めながら、哲学者・作家として活躍することです。本業は生活の為の勤めとは言え、やるべきことですから情熱と責任感を持って挑みたいと思っています。また、夢(理想・目標)である哲学者・作家(メインはエッセイだけど小説も書きたい)の為に、日々様々なことを考えたり、このようにブログを書いたりしています。

 私は、全力で楽しむことや挑戦すること、やるべきことを確りとやるといったことを、今(現在)を生きる人間として大切にしていきたいと思っています。 

 現実を受けとめ、今を全力で生きることが未来に繋がるのだと思います。そう考えるからこそ、今回の記事のタイトルを「今を全力で生きることが未来に繋がる!~現在志向のすゝめ」にしたのです。

 皆さんもこのような「現在志向」な考え方を取り入れてみてはいかがでしょうか(/・ω・)/

 

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精神のコントロールできることとできないことを見極め、対応する必要性

 人間にはコントロールできることとできないことがあります。ほとんどのことが1人の人間にとってはコントロールできないことです。だからこそ人生は中々思い通りには行かないものなのでしょう。ですが、コントロールできることもあります。

 今回は人生の中でも一番上手く付き合っていく必要がある己の精神全般に置いて「コントロールできること/コントロールできないこと」についてそれぞれ考察したいと思います。人間の精神は様々な側面が見受けられ、多様な機能を持っています。そんな多様な機能を持つ精神を取り扱うには、「コントロールできること/コントロールできないこと」を明確化する必要があります。

 私の考える「コントロールできること(①)/コントロールできないこと(②)」は、次のように分けられます。

 ①自発的な思考・イメージ,行動,振る舞い,意識・注意など:「意志系統」

 ②自動思考,感情,気分,欲求など:「自動系統」

 それぞれ解説していきましょう。

 ①のような自発的な思考・イメージ,行動,振る舞い,意識・注意などは精神の中でも意志で動かせる面だと言えます。

 ②のような自動思考,感情,気分,欲求などは意志とは関係なく自動的に生じるものです。感情や気分は物事に対して自動的に感じるものであり、また食欲・睡眠欲などの様々な欲求もまた自動的なものとして出てくるものでしょう。

 このように、コントロール「できるもの/できないもの」がある精神をどのように取り扱ったらいいのでしょうか('Д')?

 答はシンプル! コントロールできることに集中すべきであり、コントロールできないことは間接的に導く(マネジメントする)しかないのです。

  ※直接コントロールできないことは、間接的にコントロールするのです(∩´∀`)∩

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 コントロールできないものを無理にコントロールしようとしたり、否定・抑圧したりするのは、逆効果になると言えます。※逆効果になる理由は前の記事を参照してください。

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 コントロールできないものは、受け入れたり、認めたり、流す、またはコントロールできることから間接的に導く(マネジメントする)しかないのです(/・ω・)/ 

 精神を上手く取り扱うには「コントロールできること」と「コントロールできないもの」を見分け、コントロールできることに集中することが必須となります!

レッツコントロール☆(=゚ω゚)ノ

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神経質の改善法~精神の健康~

 物事に対して丁寧でいること大事ですが、神経質になりすぎると困りものでしょう。

 「神経質とは何か?」、答はシンプルで、特定の物事に対して神経を使い過ぎ(気の使い過ぎ)な状態、それが神経質です。

 今回の記事では、メンタルヘルス(精神の健康)にとって重要な神経質の改善方法について考察していきたいと思います。

 

 【なぜ神経質は直りずらいのか?~神経質な人が陥っている罠~】

 まず神経質となっている対象は人それぞれ違うと思うのですが、神経質な人が共通して陥っている2つの罠について解説します。

 ①「気にするから気になる」という罠

 ②「気にしないようにと気にする」という罠

 上記2つが神経質な人が共通して陥っている罠になります。気付いている人もいるかも知れませんが、②の「気にしないようにと気にする」は①の「気にするから気になる」に繋がります。すなわち、「気にしないようにと気にする」行為からよけいに「気になる」という結果が出来てしまうわけです。このように②の背景には①が潜んでいます。

 ①の「気にするから気になる」という事象を私は『強化原理』と呼んでいます。

 気にすることでよけいに気になるように神経が強化されてしまうという意味で『強化原理』です。神経質な人が気にしなくていいことを気にするのには、考え方・感じ方の問題だけでなく、神経が強化されているという側面も存在するということです。

 そして、②の「気にしないようにと気にする」行為そのものが気にしている、という罠は、心理学用語で『シロクマ効果』と呼ばれています。

 

白くまのことは絶対に考えないでください!!
でも、こういわれちゃうと・・・余計に白くまのことを考えてしまいませんか??

アメリカのウェグナーという心理学者が、1987年に「白くま実験」なる実験を行いました。
白くまの映像を3つのグループに見せたあとそれぞれのグループに次のようなお願いをしました。

グループA:「白くまのことを覚えておいてください。」
グループB:「白くまのことを考えても考えなくてもいいです。」
グループC:「白くまのことだけは絶対に考えないでください。」

期間をおいて調査したところ映像を鮮明に覚えていたのは、なんとグループCの人たちでした!!

「白くま効果」と呼ばれるこの現象、ironic process theory (皮肉過程理論)とか paradoxical effects of suppressing anxious thoughts (感情抑制の逆説)と呼ばれています。
白くまを考えないようにコントロールしなければならなくなると、自分が白くまのことを考えていないかどうかを頭の中でチェックしなくてはいけなくなります。白くまについてチェックするためには、常に白くまについて意識しなくてはいけなくなります。
考えないでおこうという意識が、逆に考えさせる状態を維持させてしまっているそうです。

be-do.jp

 意識しないようにと意識することがよけいに意識するはめになってしまうというジレンマという面が言葉の定義上、特徴として挙げられていますが、その実態は「気にすることでよけいに気になる」という強化原理の1つと考えてもいいのではないでしょうか。

 

 【神経質の改善法】

 神経の基本原則は『強化原理』すなわち「気にするから気になる」だと思います。

 ※使った神経は強化される。それが神経の『強化原理』の基本的な考え方です。

 なので、神経質の改善法は、「気にしないこと」だと考えられます!

 そんなのあたりまえだろ!とツッコミが来そうですが‥‥‥

 神経質の改善において「気にしなくても大丈夫」と感じること・信じることが重要だと私は考えています。

 それは先ほどの実験からでも分かります。

〈実験内容〉

 白くまの映像を3つのグループに見せたあとそれぞれのグループに次のようなお願いをしました。

 グループA:「白くまのことを覚えておいてください。」
 グループB:「白くまのことを考えても考えなくてもいいです。」
 グループC:「白くまのことだけは絶対に考えないでください。」

  期間をおいて調査したところ映像を鮮明に覚えていたのは、なんとグループCの人たちでした!!

 この実験から分かることは、白くまのことを考えてはいけないと命令・抑圧された人が一番覚えていたということです。それは「~してはいけない」という命令は精神的にプレッシャーになりやすい。また、白くまを考えないようにとよけいに神経を使う(神経を強化する)ので記憶に残りやすいということです。

 それに対して、「白くまのことを考えても考えなくてもいいです」と言われたグループBは、白くまに対して考えても考えなくてもいいので気持ち的に楽です。なので、白くまに対して神経をグループCほどは使ってないと言えます。

 このように、神経質を改善するには「気にしても気にしなくても大丈夫」と感じること・信じることが必要です。

 「気にしてはいけない」と考える・感じることは精神にプレッシャーを与えるし、よけいに神経を強化するような考え方・感じ方だと思います。

 それに対して、「(気にしても)気にしなくても大丈夫」と考える・感じることは、精神に対する負荷は少ない考え方・感じ方だと思われます。

 神経質な人の中には、自信がない、すなわち、迷い・不安があるという人が多いでしょう。その迷いから抜けるには様々なアプローチが必要かもしれません。ですが、単純に神経質の改善だけをピックアップするのなら、また神経質という名の疑心暗鬼から抜けるには、「気にしなくても大丈夫と感じること・信じること」が必要となってくると考えられます。

 冒頭でも言いましたが、丁寧であっても神経質になるべきではないと思います。

 気楽に生きる為にも神経質を改善する努力をしてみましょう(=゚ω゚)ノ

 

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『人間の土地』(サン=テグジュペリ作)から読み取れること。

 サン=テグジュペリと言えば、『星の王子さま』で有名ですが、それ以外にも考えさせられる本を書いています。その1つがこちらの本『人間の土地』です。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

 

  この本を読んで何より驚いたのは、サン=テグジュペリの言っていることが現代にも通じる普遍的なテーマであることです。

 サン=テグジュペリは、飛行機乗りとしての経験から磨き抜かれた感性・理性と極限状態を知ることで気づいた人間の本然(普遍性)について本書にあるいくつもの短編を通して読者に伝えてくれます。

 以下、「」内は本書からの引用、そしてそれに続き私の感想・意見を書いていきます。

 

P62 「競走の方が、競争の目的より重視されている。これはいつの場合にも同じことだ」

「結局は人間の為にするのだという事実を忘れがちだった」

 競走の方が、競争の目的より重視される。または、目的の目的(普遍的目的)が人の心から抜け落ちるということはよく見受けられます。例えば、資本主義などはその典型例でしょう。資本主義では、金儲け(利潤追求)が最大の目的です。そしてその為に競争をします。ですが、金儲けもまた人間が生きる為に行う手段の1つなのです。すなわち、金儲けの目的は自分や家族など人を生かす為に個々人が行うことなのです。これは資本主義に限ったことではありません。すべての表層にある目的の根本には、人を生かす為という普遍的目的があります。

 世界の様々な問題(歪み)の背景には、こういった普遍的目的を見失った。または、一部の人たちの独善的な目的の為に発生しているのではないかと思います。人類は普遍的目的が人を生かすことにあるということを改めて意識するべきと感じました。

 

P65 「飛行機は、機会には相違ないが、しかしまたなんと微妙な分析の道具だろう!この道具がぼくらに大地の真の相貌を発見させてくれる。道路というものが、そういえば、幾世紀のあいだ、ぼくらを欺いていたのだった」

 ここでサン=テグジュペリは飛行機を分析の道具と表現して大地の真の相貌を発見させてくれるといっています。まさに俯瞰的に世界を見られる分析の道具、それが飛行機であると解釈することもできます。

 私たちは、近すぎると気付けないことが多々あります。そんな時は、俯瞰的に物事を見ることが大切です。地球を俯瞰的に見ることができるようにした初めての道具、それが飛行機だと思うと飛行機に対するロマンを感じざるを得ないです。

 

P189 「ぼくは万一帰れるとしたら、またやりなおすつもりだ。ぼくには生きることが必要だ。都会にはすでに人間の生活はなくなっている」

「飛行機は目的ではなく、手段にしかすぎない」

「人は人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」

ここでサン=テグジュペリは、ぼくには生きることが必要だ。都会にはすでに人間の生活はなくなっている。と言っている。また、人と人間を区別している。

サン=テグジュペリの人と人間の区別は、何を意味するのだろうか?

誰か分かる人がいたら教えてください(/・ω・)/

 

P216 「だれも皆、ぼくらは同じ熱意を云々しているのだ。ぼくら個々の理性の果実なる方法こそは異なるが、目的は異ならない、目的は同一だ」

 ここで言う同一の目的(普遍的目的)は、「生きること」だと思われます。

 

P219 「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させ合ってはいけない。そうなのだ、きみらは正しいのだ。きみらはいずれも正しいのだ。理屈はどんなことでも証明する」

 理屈はどんなことでも証明する。たとえそれがフィクションでも論理を確り構築すれば、理屈として成り立つ。そして、各々に各々の正義がある。正義を対立させると、大きな争いに発展しやすい。ゆえに正義を対立させてはいけない。と考えられます。

 

P219~221 「もとより人間を、左翼の人と右翼の人、ファシズムとデモクラートに、区別することはできよう。しかも、このような区別は非難しがたいものなのだ。ただ本然というものは、諸君も知られるとおり、世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。本然というのは、全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ。ニュートンはけっして、謎の解みたいに、長く隠れていた法則を<発見>したのではなかった、ニュートンは創造的な仕事をなしとげたのであった。彼は、牧場に落ちる林檎を表現しうると同時に、太陽の上ることも表現しうる人間の言葉を作り出したのだ。本然というものは、けっして自己を証拠立てるものではなくて、物事を単純化するためのものなのだ」

 「イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう?すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。すなわち、ぼくらは解放されたいのだ」

 「多少程度こそ違え、みんなが生まれ出たいという欲求を同じように感じてはいるのだが、ただ誤った解決法が行われているだけだ」

 本然(本質)は、世界を混沌化するものではなく、世界を単純化するものであり、それは、人間が作り出すものである。

 イデオロギーを論じあって何になるだろう?それぞれにそれぞれの正義がある。それでいいじゃないか。という考え方には大いに賛同できます(・ω・)

 人間の本然(本質)はなんだろう? 人間の本質は生きることであり、また同時に活きる(輝く)ことなのではないかと私は思います。

 

P223 「ぼくらは戦争を必要としなかった。戦争はぼくらを欺く」

 「なぜ憎み合うのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがお互いに憎みあうにいたっては言語道断だ」

 「ぼくらを解放するには、お互いにお互いを結び付ける1つの目的を認識するように、ぼくらに仕向ければ足りる」

 ぼくらには戦争は必要ない。憎しみもまた必要ない。ぼくらに本当に必要なものは、お互いを結び付ける1つの目的だ。とサン=テグジュペリは言っている。

 人のお互いを結び付ける1つの目的は何か?

 それは生きることだと思う。また人を生かすことだと思う。

 

P224 「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

 サン=テグジュペリが言う人間とは、自分の生命に意味を持った存在、自分の役割を認識した存在を示すのではないかとここで判断した。

 

P232 「ぼくを悩ますのは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ」

ここで言うモーツァルトは人の可能性を示唆しているものと理解した。社会など様々なモノが人々のモーツァルト(可能性)を虐殺している。そして、それがサン=テグジュペリには悩ましかった。また、人の可能性を活かしきれないこの時代にやるせなさを感じていたのかも知れない。

 

P232 「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」

 この言葉の意味は、まだ私には分からなかった。色々な経験・知識を積んだ後なら分かるかも知れない。この言葉の意味が分かるその時を楽しみに待っておきたいです。

※我が師匠いわく聖書の一節が関係あるとかどうとか‥‥‥

 

サン=テグジュペリ作品】 

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コントロールとマネジメントの違い(意味哲学)

 今回の記事は、コントロールとマネジメントの意味と違いについて哲学していきたいと思います。

 コントロールをグーグル検索すると「支配・制御・管制」という意味

 マネジメントをグーグル検索すると「経営・管理」という意味

 ということが分かります。それぞれ意味は違うのだろうけど似てるような気がする、詳しい意味の違いが分からない‥(´・ω・)

 なんて人も多いはず!そこで今回は、コントロールとマネジメントを一瞬で見分ける方法を皆様に伝授したいと思います。

 結論から言いましょう(/・ω・)/

 コントロールとは「支配・制御する」ことを前提とする言葉であり、その意味を要約すると『直接操作』と表現することができます。

 マネジメントとは「導くこと」を前提とする言葉であり、その意味を要約すると『間接操作』と表現することができます。

 コントロールとは対象を支配・制御する時に使う言葉です。それに対して、マネジメントとは対象を導く時に使う言葉です。こういったことから、コントロールは自主性を軽んじる傾向にあり、反対にマネジメントは自主性を尊重する傾向にあることが考察できます。すなわち、言い換えれば「コントロール」とは「命令」であり、「マネジメント」とは「指導」であると言えます。

 要するに、

 「コントロール」=「命令・支配」=「直接操作」(支配する)

 「マネジメント」=「指導・誘導」=「間接操作」(導く)

 というように「コントロール」と「マネジメント」の意味の違いは明確化できます。

 「コントロール」と「マネジメント」は様々な状況で使い分けを求められるものになりますので、この2つの言葉(概念)の意味を確りと把握することは重要です。

 

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FSM教とキリスト教~これからの宗教のあり方~(FSM教の布教)

 パソコンのフォルダーを整理していたら大学時代に作成したレポートがあったので、公開する。

 このレポートでは、「世俗と聖の観点から、宗教を取り巻く社会問題(宗教問題)を論じる」こととする。

 私がこのレポートでテーマとするのは、「FSM教」(Flying Spaghetti Monster教)というパロディ宗教と「キリスト教」・「ID説派」の闘争から観る宗教的な盲信の問題性についてである。

 

【FSM教(Flying Spaghetti Monster教)】

 まずは、「FSM教」(Flying Spaghetti Monster教)の解説から入る。

 「FSM教」(Flying Spaghetti Monster教)は、日本語では「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」と訳される。

 日本での略称は、「スパモン教」であったりする。ポケモンデジモンなどに馴染んでいる日本人にとっては受け入れやすいネーミングであると言えるだろう。

 

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 上記が「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」のシンボルマークであり、「FSM」(Flying Spaghetti Monster)の聖画である。

 

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 上記がFSM教団の象徴的なイメージであり、人類の祖アダムとFSM(スパモン)との交流が描かれている。

教祖(預言者):ボビー・ヘンダーソン

聖典:『空飛ぶスパゲッティ・モンスター福音書

 祈りの言葉:「ラーメン」

 聖なる物:「麺類」・「ひも」

 

【FSM教の真の目的】

実を言うと「FSM教」は、ボビー・ヘンダーソンが「インテリジェント・デザイン説」(「ID説」)を公教育に持ち込むことを批判するために創始したパロディ宗教(冗談宗教)である。

このようなヘンテコ宗教……ではなく、パロディ宗教が設立されたのには、明確な理由がある。ふざけているようだが、ただのお遊びではないのである。

 

このようなパロディ宗教設立の背景には、「進化論対ID説」の対立構造がある。

2005年米カンザス州では公教育で「進化論」と「インテリジェント・デザイン説」(以下ID説)を同時に教えなければならないと教育委員会が決定した。「進化論」とは人間はサルから進化したというダーウィンの学説である。「ID説」とは何らかの絶対的存在が人間を創りだしたという学説。その絶対的存在はキリスト教の神であるとも、神ではないとも明言せず、しかも「科学的仮説」であると主張しているが、その定義は曖昧である。

その「ID説」が「科学的仮説」であるという主張に対し反旗を翻す人たちがいた。そのうちの一人が「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」(以下FSM)の教祖であり預言者である、ボビー・ヘンダーソン氏である。彼の目的は曖昧な「ID説」を撤廃または明確に定義して、「進化論対ID説」の不毛な争いに終止符を打つことである。

教祖ボビー・ヘンダーソン氏は学校で「ID説」、「進化論」、「FSM」を平等に教えなければ法的に抗議すると強引に訴えた。この活動は、アメリカやヨーロッパのインターネット上で大人気となりFSM信者が爆発的に増加した。

 

こういった「FSM教」(スパモン教)の設立経緯を理解した上で、「FSM教神学」を観ていくことにしよう。

以下は「FSM教神学」であり、一部は「日本人FSM教神学者」(引用元筆者)の解釈と「日本人FSM教研究者」(筆者・レポート作成者)の解釈が交っている。

 

キリスト教は有害である】

「FSM教」は「ID説の真似」をして「ID説」を批判している。

神による創造といえばキリスト教だが、なぜキリスト教は有害なのかを検証しよう。

キリスト教は教会を広めようとする段階で、もはや神の福音を伝えることはどうでもよくただ「権力」だけを強くしようと考えた。そのためにはすべての人間が教会の前にひざまずく必要がある。

その経緯は以下の通りだ。

人間は自然が生んだのではなく神が創造したと言えば人々は神と教会を信頼する。

「リビドー」(性的衝動・欲望パワー)は人間にとって電池のように大切なものなのだが、徹底的な抑圧が求められる。いわば何の理由もなく体力を本来の1/100にせよと言っているようなものである。

アダムとイヴが最初の罪を背負った。その子孫たるあなたがたは負債があるとして、教会なしでは生きられなくする。善悪は信仰か異教徒かという「二元論」によってのみ決定される。信者でなければ人間としてダメというのだ。

キリスト教では弱体化することが善とされ、努力することが悪とされる。とにかく民衆が勝手に動くことを阻止しようとした。その結果、自分で考えるという人間の尊い能力が損なわれた。

キリスト教が進化論を批判する理由は、科学者は頭がよいので宗教を打ち負かすのではないかという恐れのため。キリスト教は人々を徹底的に弱体化させ愚かな家畜であってほしいのだ。

この不条理さに対して彼らは「キリスト教は不条理であるゆえに正しく、神は見えないゆえに存在する」と説く。この考え方は正常(マトモ)だろうか。※ただしFSMは正常(マトモ)である。

キリスト教にとっての最高の状態とは「罪を清め永遠の命を得る」こと。そのために教会は権力拡大のために人間は自らに罪があると錯覚させなければならない。教祖キリストは罪などという言葉を一度も使っていない。罪や原罪などという言葉は後世の教会が捏造した民衆を恐怖させるものである。

正確に言えば、教父アウグスティヌスによる「原罪説」が「キリスト教神学」における「原罪」という概念の起源である。

原始キリスト教に「原罪」という概念がなかった証拠に、「原罪説」は、最も古い段階でローマ・カトリック教会とは分離しているギリシャ正教には観られない理論である。

 

そして、「キリスト教神学」によって形作られた「キリスト教」では、

最終目的は「天国」へ行くことだが、彼らはありもしない世界を堂々と語っている。

(※ただしFSMは存在する世界を語っている)

最終目的がすぐに達成されると教会は用済みになるのでわざと存在しない世界に置く。

(※ただしFSMは存在する世界にいる)

こうすれば生きている間に達成することも論じることもできない。

(※ただしFSMは論じることができる)

要するに、教会は努力すれば幸福になれる人間という生物に生まれながら一生を決められた家畜小屋で無知な状態で天国を妄想しながらくたばることを待てと言っているのだ。

ニーチェ曰く「キリスト教の神の定義こそが世界を狂わす原因である」と批判したが、「FSM教」が世界を正す宗教となりうる可能性を秘めているのである。

 

【進化論は完璧ではない】

「進化論」はキリスト教よりは論理的であり限りなく正解に近い。「科学」により人類はいかにして生まれたのかを研究した結果が「進化論」なのだが、これはただ1+1=2と言ったにすぎない。それはただの「公理」であり、誰でも分かることであり、宇宙のベールの一部を剥いだだけであり、結果として人間の心(精神)を満たすものではない。

すべてのベールを剥いでもそれは科学者が使ったモノサシ(つまり公式)を使い気難しい文字を書き連ねるだけであり、果たしてこれが「宇宙の真理」であり「全人類の生きる目標」となりうるのか、という疑問が残る。

「心(精神)」は数式で表されるものではない。「宇宙の真理」、「魂」とは何かについて人間はいつの時代も説明を必要としている。「宗教」と「進化論」(科学)は一長一短である。

「宗教」は神秘を説明するが、権力に支配されている。

「進化論」は事実を言うが、神秘的なことを説明できない。

だがしかし! (宗教-権力)+(進化論+神秘)=FSM という公式が預言者ボビーに啓示として現れた!

まさに従来の価値観をコペルニクス的転回させた宗教、それこそが「FSM教」なのだ。

 

【FSMは進化論とID説の中間に立つ】

本来、神とはギリシャ神話や日本神話のようにただの昔話・神話であり、宇宙や人間の存在理由を説明するものである。だがキリスト教はそれを「キリスト教神学」とともに欧米の常識にしてしまった。なので、「キリスト教」を撤廃すると欧米の人々は心の礎(いしずえ)をなくしてしまう。

よって「科学」と「神秘」の中間に位置する「FSM教」が必要なのである。

ユングは現代人に必要なものはギリシャ神話のような「神話」であると言った。だが彼も「権力」しか求めない「キリスト教」には反対だった。

すなわち、「キリスト教-権力=FSM教(神話)」という公式が成り立つ。

「FSM教」は、「キリスト教」のように戦争して民衆を恐れさせながら(強迫的に)布教したのではなく、ネット上でみんなが共感して発展した神であり、「FSM」(スパモン)は健全な神なのである。

一神教」である「キリスト教」によれば一人の男が全宇宙を創ったとされ、男尊女卑はその結果生じた。男から全生物が生まれたというのは冷静に考えれば納得いかない。

一方全宇宙を創造した「FSM」(スパモン)は男女の区別がなく「コスモポリタン」である。

もしかしたらCosmo(宇宙)+napolitan(スパゲッティの一種)=Cosmoplitan(平等主義)という語源なのかもしれない。「コスモ+ナポリタン」=「コスモポリタン」すなわち、「宇宙のスパゲッティ(ナポリタン)」が、すべての創造神だというこの言葉は古代人が「FSM」(スパモン)の啓示を受けたに違いない。

 

【FSMを信じると賢くなれる】

従来の宗教を信じるということは真実を知りたくない、ただ大多数に流され命令されたいということを意味する。

それは「自由意志」がある人間に生まれながらにして自分で自分を拘束するに等しい。この結果生じるのが「ルサンチマン」(他者に対する嫉妬・憎しみ)である。ただひとつの退廃的思想を信じて、他を拒絶すると心(精神)は蝕まれる。

 

FSMは驚くほどマインドマップに似ている。マインドマップとは皿からスパゲッティの触手が伸びたような図形を使って学習する学び方である。マインドマップを使うとすべての被験者の学習能力が向上した。本家イギリスでは多くの人が使用している。フェルマーの最終定理の解読者もイギリス人である。

冷静に考えるとFSMのミートボールは右脳と左脳のようである。マインドマップは右脳と左脳を刺激して、ダ・ヴィンチのように全方位的に考えることができる。FSMはこんな宗教や思想が乱立する時代に真に物事を見極め、心(精神)も知性も磨くべきであるという福音なのだ。

 

【FSMの福音】

聖典空飛ぶスパゲッティ・モンスター福音書』(FSMの福音書)から、FSM(スパモン)による「世界の創造神話」を観てみよう。

はじめに言葉があった。それは「うわあああ!」、すなわちビッグバンである。FSMは銀河系を創造した。それはご自身の風呂であり、生命が誕生する場所である。地球を創造し、調味料としての塩を撒いた。そこから単細胞生物が誕生した。海がしょっぱいのはこのためである。

FSMは植物を創造した。それは人間が神の体に似せた食物であるスパゲッティを食すためである。FSMはビール火山からすべって頭を打ち、このせいで恐竜が絶滅した。

エデンのオリーブの園にて、男はオリーブが固くて噛めないことを知った。FSMはオリーブを挽きスパゲッティにかける知恵を授けた。彼はタバスコを使い切ったためにエデンから追放された。

上記が、「FSM(スパモン)」による世界の創造の経緯である。

誰もこの神話を反証することはできない!(証明することもできない!)

 

【人間はスパゲッティから生まれたことの証明】

宇宙は無だった。そこからどこからともなく生命が生まれたのだと「進化論」は語る。この学説は全くナンセンスである。

人間の基礎は「DNA」であり、「DNA」は肉体を構成する設計図である。皆さんは「DNA」が螺旋状であることはよく知っているだろう。これは絡まる2本のスパゲッティなのだ。男女から1本ずつ引き継がれたスパゲッティにより人間は誕生する。

シェフが愛情を込めてスパゲッティを作るように、FSMこと空飛ぶスパゲッティ・モンスター様は私たち人間を創って下さったのだ。両手の指が10本もある生物は珍しいが、それはFSMのなごりである。神はスパゲッティであるご自身の姿に似せて人間を創ったのだ。

もし人間が絶滅した場合、イカが地球を支配するだろうと科学者が本当に予想している。その理由は触手が10本もある生物がFSMから寵愛を受けないはずがないからである。奇遇にも人間の両手の指も10本である。

銀河系を見よ。星々の集まりが渦を巻いていることが分かるだろう。スパゲッティは鍋で調理するが、宇宙全体が鍋なのだ。宇宙物理学の「ひも理論」という言葉はスパゲッティに由来する。

 

【FSM信者の制服は海賊服である】

キリスト教信者には独自の服があるように、FSM信者は海賊服を着用する。その理由は「ID説」が教科書に載っているのは「陰謀」であることを主張するためである。

「陰謀」:Conspiracy = cons+piracy = cons:ラテン語で「共に」+piracy:海賊行為 = 国家と宗教が結びついている状態を意味する。

 すなわち、「ID説」が教科書に載るのは国家と宗教による「陰謀」(海賊行為)であるということを強調するためのものなのである。

また、海賊といえば海。人々に井戸の中の蛙のならず勇敢に未知の方へ進もうという意味もある。すなわち、古い因習や非合理的な考え方・捉え方にとらわれず、新たな世界に旅立つことの重要性も考えての「海賊」なのである。

 

【預言者ボビー・ヘンダーソン氏による質疑応答】

Q.あなたは私の宗教を侮辱しているのか

A.新しい神を祀っているからといって他の神を軽蔑している訳ではない。それに一切のドグマを否定する。我々は力ずくで信者を獲得せず、宗教に違反したからといって誰も殺さない。この事実をあなた方の宗教と比べるとよい。

⇒他の神を軽蔑することはしない「宗教的寛容性」、そして一切のドグマ(教義)を否定するという「自由性」。これらの考え方は、ヨーロッパの伝統である「一神教」とは正反対の考え方であり、「FSM教」は革新的な宗教であると言えるだろう。

 

Q.他の宗教は悪いのか

A.いいえ、我々の登場が遅かっただけだ。

 

Q.異教徒は地獄へ行くのか

A.いいえ、FSMは権力を振りかざすために民衆を怖がらせようとはしない。

⇒「一神教」に特有の「強迫性」を否定している。これもまた「FSM教」の革新的な部分である。

 

Q.FSMは祈りを聞いてくれるか

A.はい、海賊服と眼帯を着用すればFSMは必ずあなた方を愛するでしょう。

 

 

ここからは、上記のような、おふざけを含めて「FSM教神学」を理解した上で、キリスト教などの「宗教」と「社会」の関係性・あり方について考えていきたい。

 

【宗教の社会的問題点】

このレポートのテーマは、「FSM教」(Flying Spaghetti Monster教)というパロディ宗教と「キリスト教」・「ID説派」の闘争から観る「宗教的な盲信」の問題性についてである。

「FSM教」は「パロディ宗教」であり、ふざけているようだが、社会に対して重要な問題提起をしている。

それは「宗教」という存在のあり方と、「社会」と「人々」が「宗教」に対して、どのような対応をするかという「宗教的な社会問題」である。

「FSM教」の場合は、「ID説」という「宗教的な教育問題」に対する皮肉の結果である。だが、世界の「宗教的な社会問題」は、これだけには収まらない。マクロなレベルからミクロなレベルまでさまざまな「宗教的な社会問題」が世界には存在する。

それは近年、中東を騒がせた「イスラム国問題」や、巷で人をたぶらかす「新興宗教」の類などさまざまである。

「宗教は必要ないとか」言うつもりはないが、「宗教」にも守るべきルール・領分があり、それを守れない「宗教」は社会や人々にとって危険な存在である。

だが、「宗教」というものは、伝統や文化として強く根付いている(※特に一神教)ものであるので、一概に強く非難することができない、繊細なものである。

そこが、「宗教的な社会問題」としての「ジレンマ」にもなっている。

また「教育と宗教の関係性」は、「宗教的な社会問題」の根本原因だと言えよう。

 日本を含めて世界各国には、深刻な二世問題が世間には存在する。

 それは、本人の意志に反する「強制的な入信」や「洗脳教育・信仰教育」といった問題である。

 宗教信者の二世は、洗脳されていれば、純粋に宗教的世界観を信じて行動する。それがその人の「自由意志」・「自発的な選択」と言えるだろうか。

 また、洗脳されていない場合でも、親との確執、世間一般とのズレに苦悩することになるだろう。こういった現象が社会のアンダーグラウンドで展開されている「宗教的な社会問題」の一端なのである。こういった事例の他にもマクロ・ミクロ問わず、我々の想像を超えた「宗教的な社会問題」は社会の表面またはアンダーグラウンドで展開されているだろう。「宗教」という現象には「光」だけでなく、大きな「闇」があることを私たちは知るべきだ。

先ほどの事例で言えば、子供という純粋な存在・無知な存在に「信仰」という人の価値観・世界観に大きな影響を与えるもの・決定づけるものを強いるべきではない。

 子供は「理性能力」の低い存在、すなわち「判断能力」の低い存在なのである。

 子供にも権利があり、子供の選択権を親や社会は配慮すべきなのであり、親による「信仰の押し付け」などは言語道断である。「子どもの権利」は「善なる社会(人々)」,「善なる人」,「善なる政府」によって見守られるべきものである。

 

【カルト宗教とは何か】

 まず「FSM教」は「カルト宗教」ではないと言っておこう。「FSM教」は「カルト宗教」などではなく、むしろ「宗教的な社会問題」に対するカウンターカルチャーの1種と言っていいだろう。それでは、「宗教的な社会問題」の温床となる「カルト宗教」とはどんなものだろうか。

 「カルト宗教」の定義は、「無神論大国」であるフランスから拝借したいと思う。

 フランス政府は、以下の条件を一つでも満たしている団体を、「セクト宗教」(カルト宗教のフランスでの呼称)と認定して、公表している。

① 精神の不安定化

② 法外な金銭的要求

③ 生まれ育った環境からの誘導的断絶

④ 健康な肉体への危害

⑤ 子供の強制的な入信

⑥ 大小に関わらず社会に敵対する説教

⑦ 公共の秩序を乱す行為

⑧ 多くの訴訟問題

⑨ 通常の経済流通からの逸脱

⑩ 国家権力への浸透の企て

(横山真佳「セクト宗教事情 ヨーロッパ報告③」『毎日新聞』1997年3月22日)

 

 上記のような条件を満たすものが「カルト宗教」と言える。

 この条件を満たすものは「宗教」に限らず、「企業」や「組織」などでもあり得るだろう。「ブラック企業」などはその典型であり、「カルト企業」と言えるだろう。「人々」も「政府」も「カルト企業」・「カルト組織」には気を付けるよう提言しておく。

 我々、一般人は「カルト宗教」に注意して、そういった危険なものとは距離を置く必要があるだろう。また、「政府」・「NPO」などは、そういった「カルト宗教」に対する監視を強化することが大切であり、積極的に入信状態・洗脳状態にある信者を助ける行動を取るべきだろう。

また、我々は「FSM教」が「カルト宗教」にならないように見守る義務があるだろう。 

 

【FSM教徒の必須グッズ】

反・進化論講座―空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書

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【参考文献・参考サイト】

ボビー・ヘンダーソン『反進化論講座~空飛ぶスパゲッティ・モンスター福音書~』築地書館,2006年

 

ニコニコ大百科空飛ぶスパゲッティ・モンスター教とは」

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%A9%BA%E9%A3%9B%E3%81%B6%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99

 

ウィキペディア空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E9%A3%9B%E3%81%B6%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99